モデルコース
【日本遺産モデルコース】石工が作り上げた絶景スポットを巡る王道コース「イシク・ロード」

八代の日本遺産のメインスポットを巡るコースです。石工によって築かれた石垣が残る八代城は季節によって様子を変えます。特に春の桜のころは絶景です。東陽町では石工が手掛けた「めがね橋」と特産のしょうがグルメをお楽しみください。
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START
八代市役所
約5分 -
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八代城跡
八代城は、元和5年(1619)の地震により、麦島城が崩壊したため、熊本城主加藤忠広(清正の子)が幕府の許可を得て、家老の加藤正方に命じ、同6~8年にかけて球磨川河口北側の松江村に築城した平城です。
寛永9年(1632)改易となった加藤家の改易により熊本城主となった細川忠利の父忠興(三斎)が入城し、北の丸を居所として本丸に四男の立孝(立允)を居住させました。正保2年(1645)閏5月に立孝が、続いて12月に三斎が没したため、翌3年(1646)家老松井(長岡)興長が入城し、以後は代々松井氏が在城しました。落雷による焼失や明治維新後の取り壊しがあるも、本丸の石垣と内堀が残り、本丸跡に懐良親王をまつる八代宮が鎮座しています。
中世の古麓城、安土桃山時代の麦島城、江戸時代の松江城(現 八代城跡)と3つの時期に分かれる城が残り、2014年「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」として、古麓城跡・麦島城跡と併せて国の史跡に指定されました。
2017年には、続日本100名城にも選定されています!
【期間限定】ガイドと行!八代魅力☆発見ウォーク(やつしろ観光ガイド協会主催、2024年7月・8月の土日限定)
くわしくは協会ホームページをごらんください。
https://yatsushiroguide.com/news/walk2024-7-8/「八代市役所前」バス停~「種山」バス停、約50分 -
2
道の駅東陽
平成17年2月6日「自然・癒し・食」をテーマとし、「ゆったり」そして「やすらぎ」の空間をお客様に提供するためオープンしました。
天然温泉、野菜レストラン及び地元農家直売の野菜販売所等がある複合施設です。徒歩約10分 -
3
石匠館
石匠館は、八代市東陽町にある石工とめがね橋の博物館です。この地はかつて種山と呼ばれ、熊本を代表する種山石工で有名でした。彼らは通潤橋をはじめとする数多くのめがね橋を架けました。東陽町には今なお一世紀以上の風雪に耐えて残る21の石橋があります。
館内には岩永三五郎、橋本勘五郎らの石工に関する展示や当時の石橋をかけるときの様子、工夫などを知ることができます。
また、石匠館の建物は地元で採れる凝灰岩の壁面と丸屋根が特徴的で建築家・木島安史氏の設計で建てられました。この建物はくまもとアートポリスで特に優れた建造物としても表彰されています。
当時の石工たちの驚くべき知恵と技が息づく石橋文化の里を一度訪ねてみませんか。タクシー 約2分 -
4
白髪岳天然石橋
白髪岳の東麓にあるアーチ橋状の形をした岩盤です。これは、9万年前に起った阿蘇の火砕流が堆積して溶結凝灰岩となり、永い年月の浸食によって現在のような形が作り出されたものです。
この天然橋について、東陽地区には「白髪岳の天神様が山を下りて来られる際に、道を塞いでいた大岩を蹴り破って出られたために出来た」という伝説が残っています。タクシー 約10分 -
5
鹿路橋
嘉永元年(1848年)橋本勘五郎の父である、嘉八によって架橋されたと伝わっています。渓谷にかかるめがね橋であり、橋長は20mを超える八代市域に存在するめがね橋の中でも比較的大きな橋である。現在も地域住民によって除草作業などの管理が行われており、地域住民に守られています。
タクシー 約2分 -
6
笠松橋
明治期に種山地域の石工の代表的人物である橋本勘五郎によって架けられたと伝わる橋。現在も地域の人々の生活に使用されています。付近は公園整備がなされており、ノミ加工の跡など、めがね橋を造った石工の技術力を間近で見て感じることができます。
約3分 -
7
谷川橋
昭和4年に石工の田上甚太郎によってかけられたとの記録が残るめがね橋で。現在確認されているめがね橋の中で最も新しい橋であり、八代で長い間石工たちが活躍し、めがね橋を架設していたことを物語っています。石材には架設地付近で採石された溶結凝灰岩を用いています。また、橋を渡った先にある河俣阿蘇神社には、建設中の写真が残されています。
約5分 -
8
道の駅東陽
平成17年2月6日「自然・癒し・食」をテーマとし、「ゆったり」そして「やすらぎ」の空間をお客様に提供するためオープンしました。
天然温泉、野菜レストラン及び地元農家直売の野菜販売所等がある複合施設です。