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やつしろの見どころ一覧

検索結果230
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塩竈神社

加藤正方が八代城築城時、塩浜開墾の守り神として元和年間建立。製塩のほか航海安全、漁業、安産の神として崇拝。
歴史・文化
八代エリア
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観行寺

万治2年(1659)創建。正教寺四世空含の弟了の開基。現在の本堂は文化6年(1809)の再建。浄土真宗。
歴史・文化
八代エリア
ドライブインみなみ

ドライブインみなみ

甘口のタレに千切り生姜をたっぷり。定食にはちゃんぽんor肉うどんが付いてくるボリューム満点の定食。 ちゃんぽんが普通サイズで、小鉢もメインもついていて、驚きの価格。地元の方に愛される昔ながらの店。
その他グルメ
東陽エリア
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八代城下町の魅力がギュッ!~八代城跡・松浜軒・お祭りでんでん館~

八代市中心部は、江戸時代、肥後熊本藩第2の城下町として栄えたところです。現在でも、八代城跡(国史跡)や松浜軒(しょうひんけん、旧熊本藩八代城主浜御茶屋庭園、国名勝)、武家屋敷や由来の古い寺社や旧跡が点在しています。 その歴史と文化は、城跡の一角に建つ市立博物館で見ることができます。また、令和3年オープンした市お祭りでんでん館では、妙見祭をはじめとする八代に残る多彩な祭礼や伝統芸能を紹介してい...
歴史・文化
祭り・イベント
日本遺産
八代エリア
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般若院

細川家の祈祷所として寛永9年(1632)創建。現在では水子供養の寺として参拝者が絶えません。
歴史・文化
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若宮神社

寛永9年(1632)細川三斎が宇佐八幡宮の分霊を勧請したところで、塩屋八幡宮の前身です。
歴史・文化
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慈恩寺

慶長17年(1612)徳淵春日社前に創建。明治10年(1877)の西南戦争時には官軍別働旅団の本営が置かれました。
歴史・文化
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照光寺

寛永元年(1624)の創建と伝えられ、八世成は徳高く、光徳寺の法海と並び称されました。浄土真宗。
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住吉神社

八代城下の御船場だったところにあります。住吉神は航海の神なので、建物や島居が海に向かって建てられています。
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盛光寺

細川三斎が元和9年(1623)に亡くなった側室小山のために豊前中津(大分)に建てたお寺。はじめ西光寺といい、三斎に伴って八代城下へ移り、その後盛光寺と改められました。三斎の娘長姫を弔う安昌院も一緒になっています、本尊は阿弥陀如来三尊像。安昌院の阿弥陀如来座像は鎌倉時代初期の作で、県指定重要文化財です。近年修復され、優美な姿がよみがえりました。(市博物館に寄託中)寺内にある地蔵堂は、子供の「疳...
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見松寺

古くは大村にあったといい、元和6年(1620)八代城下に移転。曹洞宗。
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善正寺

寛永元年(1624)芦北町宮之浦に創建され、正徳元年(1711)現在地へ移転。本堂に華麗な天井画があり、子屋の教材に使われたと伝えられています。浄土真宗。
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養林寺

寛永9年(1632)細川三斎より寺地を拝領。当の楼門は、三斎を迎える「お成り門」として格式高い形式を今にとどめています。門中のやぐら太鼓は寛永3年(1626)の年号があり、八代城にあったものと伝えられます。下からのぞくことができます。浄土宗。
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安養寺

慶長17年(1612)麦島城に城代として入城した加藤正方の母妙慶禅尼が夫可重の菩提寺として建てたお寺です。元和5年(1619)八代城移転とともに魚屋町に移転、寛永9年(1632)三斎によって現在地に移されました。本堂の楼閣造内陣厨子は、八代城の天守閣を模したといわれる壮麗優美な造りです。また近年、門徒の方から寄贈された見事な釈迦苦行像(総金箔貼)と釈迦槃像が注目を集めています。浄土真宗。
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正教寺

"開基春空は後醍醐天皇の忠臣名和長年の子孫藁井出雲守吉之。慶長16年(1611)古麓城下より麦島城下に移り、さらに八代城下へ移りました。3世春了のとき、本願寺顕如上人より薩摩・島津義久の家臣伊集院幸に付与された親鸞上人の木像が念仏禁制により寺に伝来しています。10世文暁は、創作芭蕉臨終記「花屋日記」の著者として知られ、小林一茶は寛政4年(1792)文暁を訪ね、三ヶ月滞在しています。このとき残...
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徳淵の津・札の辻・河童渡来之碑

この辺りは、徳淵の津と呼ばれた良港で、多くの船が出入りし、中世には海外との貿易も行われていました。江戸時代には、距離の目安として一里(4km)ごとに置かれた里数木のあったところで、熊本新町の始点から十一里の地点にあり、薩摩街道の要所でした。「札の元標定地」の碑が建てられています。また、仁徳天皇の時代に、九千匹の河童が中国より泳いで渡ってきた上陸地点と伝えられ、「河童渡来之碑」があります。子供...
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本成寺

慶長13年(1608)加藤清正が9歳で亡くなった嫡男忠正の菩提を弔うため、宮地村に建立したお寺です。寛永11年(1634)細川三斎が父の菩提寺泰勝院を建てるにあたって本堂を献上し、八代城下の現在地へ移転しました。その返礼として奉費されたのが現在残る高麗門で、八代城本丸の第一門(欄干橋門)だったもの。その後火災にあうが再建され原形を保っています。八代城の建物唯一の遺構です。清正の命日である7月...
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荘厳寺

古くは古麓城下にあり、相良氏の菩提寺。その後麦島城下に移り、元和6年(1620)現在地へ移転。寺の地蔵菩薩は「汗かき地蔵」と呼ばれ、痛みや悩みを取り除いてくれるとして仰されています。浄土宗。
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浄信寺

八代城代加藤右馬允正方が亡父可重の菩提寺として創建した寺で、はじめ阿蘇内牧城下に建てられました。(慶長9年・1604)。慶長17年(1612)正方は八代城代となっては麦島城に移り、元和3年(1617)加藤清正の七回忌に麦島に寺を移しました。元和8年(1622)八代城移転時に現在地へ再移転。本寺には、清正や可重らの位牌がまつられ、可重、正方の肖像画や正方臨終の言葉と辞世の文書などが保存されています。
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西光寺

細川三斎の創建。松井興長が八代入城時に家臣橋本市正宗忠の子了を住職として再興。宗忠は興長没時に殉死しています。浄土真宗
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春日神社

もと徳淵にありましたが、寛永20年(1643)三斎が八代城辰巳(東南)方向の鎮守として当地へ移転。えびす神をまつり、商売繁盛の神として地元商店街の崇拝を集めています。もとの地には小祠(古春日)と春日小路の地名が残っています。
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金立院

慶長年間豊前小倉に創建。正保3年(1646) 松井家の祈祷所として現在地へ移転。境内に小西行長時代のものと思われる十字形の膨りこみのあるキリシタン墓碑(市指定建造物)が残っています。
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シャルトル聖パウロ修道院記念館

市役所東側に建つ木造洋風建築。明治33年(1900)の建築で、シスターたちの救護活動の拠点となりました。明治期に日本に伝わったヴェランダ下見板コロニアルの建築様式を残す珍しい建物です。
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浄喜寺

開基村上入道良慶大僧都は、初め小早川隆景に仕え、東本願寺で得度。慶長10年(1605)三斎に招かれ中津城下に創建。三斎に伴い八代城下に移転。三斎・宗孝の位牌があります。浄土真宗。
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